どんな「農」を目指したらいいだろう?

わが家の田んぼは、雪どけの水や雨水、ブナ林などが保った山からの湧き水を用いてお米を育てる天水田の棚田。

まだ雪が積もる春先、冷たい水に足をつけて苗代づくりをはじめますが、苗が芽を出す頃には、田の中には数え切れないくらいのおたまじゃくしがたくさん泳ぎます。暖かくなると、ドジョウ、ゲンゴロウ、メダカ、タニシ・・その他名前もわからないような生きものがたくさん活動をはじめます。

初夏の夜にはホタルが飛び回り、その光が星空と一体となる光景はもう忘れられないくらい。
蝉の鳴き声が春から夏に、トンボの色が夏から秋に、季節の巡りを知らせてくれます。
春夏秋冬、季節を彩るまわりの自然は、自分の心を洗ってくれるほど美しいものです。

そんなふうに豊かな自然に恵まれた田んぼですが、わが家のお米づくりは、現在のところ「慣行農法」で行っています。つまり、一般的なお米の栽培方法、農薬や化学肥料を用いた農法です。

世の中の(自分も含めた)消費者には無農薬や有機栽培の作物が評価され、周囲でも数少ない新規就農者のほとんどがそういった農法を選択するそうです。だから、世の流れに反している・・、なぜ僕は慣行的な農法で栽培しているのでしょうか。
それは、地域の土地・田んぼを守りたいから、です。山地のこの地域では良質なお米が穫れる一方、小さな棚田、重粘土質の土、天水田などというように、作業条件・生産効率は決してよいとは言えません。高齢化して離農者が増え、後継者もほぼゼロな中、耕作放棄地は増える一方です。しかし、無農薬栽培などの農法ではさらに手間がかかりすぎるゆえ、少ない規模の田んぼしか耕作することができません。

山中の水田を放棄することは災害の元にもなりますし、そもそも、地域文化の中心でもあるよいお米を守ることもできなくなってしまいます。ですから、できる限りにおいて、耕作する面積を維持して、地域の土地、地域の田んぼを維持したい。だから、です。

加えて、無農薬などで栽培した場合、生産規模が小さくなるために、お米の価格は上げざるを得なくなるでしょう。より高価となってしまうお米を、相応の対価を払える少ない人たちだけに食べてもらえばいいとも、なんとなく思えません。

高いお米が売れて自分の家計だけ順調ならいいのでなく、僕はお米を生産する土地も地域もまた守りたい。

僕がやりたいのは、お米づくりを通じて、人を育て、様々な関係性を育てること。
最初に書いたような自然にあるいのちの姿を損ないたくないですし、食べてくださるみなさま一人ひとりもとてもとても大切なので、とりあえずのところ、慣行農法でも「環境保全型農業」に則ることにしました。農薬の数はできる限り減らします。子どもの脳神経への影響や生態系への深刻な影響が指摘されるネオニコチノイド系の農薬の使用もやめました。未知の工夫と努力でもっと減らせるかもしれません。
そうなんです。未知のことがまだまだ。知らないことも、迷いもたくさんあります。

無農薬が一番!なんて言われると正直、ごめんなさいという気持ちもあります。
でも、消費者にも生産者にも、社会にも地域にも、みんなに優しいとなるためにはどうしたらいいでしょう?

どんな「農」を目指したらいいだろうか―。

そんなことを迷い考えながら、今日もまた収穫前の草刈りに行ってきます。また雨が続いて心配です。
今年のお米はどんな味になるかな?迷いが苦味になってしまうのか・・、きっと優しい味になるといいな。

初秋 正屋(渡辺正幸)

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