
稲刈りが終わり、出荷の仕事と重ねるようにして、来年のための田んぼの準備をしています。
トラクターで、田を耕し直して(耕うん)、水を入れ土塊を崩しながら泥をつくって(代かき)いきます。
泥を丁寧につくることで田んぼの水漏れを防ぎ、また、田面を平らに平らにして高低差をできる限りなくしていくことで雑草の繁茂を防ぎ、余計な農薬の使用を省くようにします。
今年の耕うん・代かきは、これまでに比べても作業のペースを早め、丁寧にしながらも詰め詰めで、稲刈り終了後から休みなく続けてきました。
なぜならば、来年はあと1ヘクタールほど耕作面積を増やす予定だからなんです。
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僕がお米作りを始めた当初、5世帯 しかない隣の集落では、5人のおじいちゃんたちが稲作を専業にしていました。
生産効率がよくないこの山間地では、稲作のみで生計を立てる選択をする人は多くなく、5世帯 5人のおじいちゃんたちがそこに挑戦していたことは、当時でも珍しかったと思います。
僕がお米作りを始めるということで初めて挨拶に行った時の、畳に車座になって座るおじいちゃんたちの有りようや、その後、事あるごとに何もわからない自分にいろんな仕方や知恵を教えてくださった時の表情は、昨日のことのように覚えています。失敗ばかりしてたのに、無条件でほめてくださっていたり。
しかし今から6、7年前、そのおじいちゃんたちの4人が続けて亡くなっていきました。
亡くなるほんの直前まで田んぼ仕事に向かい、最後は病を抱えながら、とてもしんどそうに作業していました。もう休んでゆっくり過ごしたらいいのに、と思ったくらいです。
身内に後継者がいなかった3人のおじいちゃんは、僕と、僕の先生(米作りの先生)に農地を託しました。
「渡辺さん、あとは任せたよ」と、僕が2017年に受け継いた棚田は、今年もまた大事につかわせていただきました。
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今、仕事している、来年から増作する計1ヘクタールの田んぼは、亡くなったおじいちゃんの一人が当時、僕の先生に託した田んぼです。
それを、今年の稲刈りの後、先生が「いい田んぼだから、来年からやってみたらいいよ」と言ってくださいました。
実は、もともとその田んぼを耕作していたおじいちゃんが病床についた際、見舞いに行った僕に「渡辺さんにやってもらいたいと思っていたんだよ」と言ってくれたんですが、当時の自分にはとても受け持てるはずもなく・・。
そのおじいちゃん、自分で山を開墾し、田んぼを作っていたそうです。最期の頃には重機を数台保有しておられました(操作技術も開墾作業で培ったとか。「全部で1億円くらいもかけたと思うよ」と)。
その努力や開拓精神もそうですが、お米から生み出したそんなに大きな資金も、貧乏暇なしの自分には偉大すぎて想像もできません・・。

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半袖姿、汗をかきながらやっていた耕うん・代かき作業も、いつの間にか季節が巡って、上下インナーを着込みネックウォーマーまでするような気温になりました。周囲の山々はすっかり紅葉して、すすきの穂があちこちでふんわりなびいています。
季節だけでなく、世代も巡り、おじいちゃんたちが拓いた田んぼが僕のところに来るようになりました。
先人たちが築いた礎を守り、活かしきれるだろうか―。
田のちょっとした仕掛けや工夫から、言葉ない遺言を読み取るように、仕事を続けるこの頃です。
(わたなべまさゆき 2024年11月)