子どもたちの近くにいること

僕の仕事は、夏の間は毎日田んぼに通ってお米づくり、冬はここ数年地元のスキー場でアルバイトをしています。スキー場の仕事がない時は、だいたい家で除雪に時間を割いたり、お米の出荷をしたり、いろんな事務仕事(主に夏場に向けての“種まき”が多いかな)をしています。

田んぼの仕事はよく子どもたちに手伝ってもらっているし、小さい頃は、毎日ように一緒に行って、まさやは虫取りをしたり、ももこなんかは田んぼの脇に流れる沢の水でミルクを冷やしたりもしてました。

まだ自分が見習いの最中はとくに、親方さんから思いっきり叱られる姿も子どもたちは見ていたし、最近だって大きな失敗をしてイライラしたり、凹んだりしてる様子も全部見ています。(もちろんうまくいって喜んでる姿も見てくれてる・・といいな。)

スキー場での仕事もまた、わが家の子どもたちはよくスキー場に来るので(余暇や部活、学校の授業などでも)、僕が接客をしたり、商品を仕入れたり、リフトの運転をしたり、遊んでる他所の子どもたちの相手をしたりしてるのも見ているし、僕自身もまさややももこがスキーが上達していく姿を見たり、楽しそうに遊んでる姿も見ることができます。

天気のいい今日は、2人ともスキー場に来ていました。

まさやはゲレンデでアルペンスキーの検定試験を受け、一方で、ももこは友だちたちとソリ遊びをしてました。
僕は両方の姿が一度に見渡せる事務所の窓から、2人それぞれの過ごし方を眺めていました。


僕自身、子ども時代は父母祖父母と家庭を共にし育っていました。

父は会社員であったため、朝早く家を出、夕方や夜に帰ってきて晩酌をして寝る、休みの日はだいたい疲れを癒すために寝て過ごしている、そんな生活だったように記憶しています。(たまーに、どこかに連れて行ってくれたりはしましたが。)

僕が30代半ばに、新潟に引っ越そうと思う、と両親に打ち明けたところ、特に父親は感情的に猛反対しました。
その父の反応にがっかりするとともに、腹が立ち、お互い「勝手にしろ」「勝手にするよ」というかたちで話が終わりました。

後日、その様子を傍らで見ていた母が言いました「あんたはお父さんとあんまり交流がなかったからね」。

あんまり交流がなかったから・・、意図や気持ちが通じず理解し合えない、ということなのか・・。
少なからずあった、小さい頃からの父との思い出は自分なりに心温かいものでもあったのですが、それでも「交流がなかったのかぁ」と母にそう言われ初めてそれに気付いたように、切ない気持ちになったのを覚えています。

新潟に来てからは、失われた父との機会を取り戻すように、時期時期で実家に帰って話すようにしたり、帰れない期間もインターネット越しでよく顔を見せたり様子を聞くようになりました。

それから数年、父は病に倒れ、僕は数ヶ月間自分の家庭や仕事を放り出して、母妹とともに介護をし、最期を看取ることができました。

僕自身、ほとんどその背中しか見て来なかった父親ですが、自分が父となり今、子どもたちには良かれ悪しかれ、丸ごと見てもらっているように思います。かっこいい姿などありませんし、背中で語ることもたぶんない・・なぁ。

でも、日常的に子どもたちの近くにいて「交流」があること、それは自分にとってとても幸せだと感じます。

もとい、僕は父と「あんまり交流がなかったから・・、意図や気持ちが通じず理解し合えなかった」のでなく、

あんまり交流がなかったから、父は「もっと息子と一緒にいたかった」とあの当時、密かにでも思ってくれていたらなぁと今更ながら願うばかりです。

果たして、うちの子たちにとっては、父との交流は十分かな、、大きくなってももっと一緒にいたいって思ってくれるかな・・。

(わたなべまさゆき 2023年3月)

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