手間をかけること。


あれからもうすぐ一ヶ月、あっという間でほんとびっくり・・。

5月末まででわが家の田植えはなんとか無事に終わっています!
お米の配送ご依頼などに、早めにご連絡をいただいたみなさま、ご協力ありがとうございました。

いや〜、今年の田植えは、始まる直前に夫婦2人とも体調を壊してしまい、それを引きずりながらの期間に突入、心身ともにキツかった〜。
子どもたちが休みの日に手伝ってくれたことが、いつもに増してとても助けになりました。2人とも、去年よりもまたできることが少しずつ増えていって、「へぇ〜」って、親としてもひそかに感心したりしてました。
それに、何ができようとできまいと、ただ田んぼにいてくれるだけで心が明るくなるから不思議。

こないだの日曜は父の日。朝、子どもたちを起こして、「今日はパパをよろこばすために手伝ってくれる?」と数回繰り返して願うと、2人は眠そうな顔をこすりながらも了解してくれました。

早速、みんなで作業着に着替え、トラックに乗って向かった先は、2年ばかり手つかずだった山の上の水路です。斜面のふもとに沿って作ってある土側溝(=コンクリートなどで固めてない、土を掘り削って溝になっているだけの側溝)は、自然に落ちた葉や木の枝、流れてきた土砂でいっぱいになっていて、とても1人2人では向かう気持ちにはなれません。

ということで、家族総出4人チームにて。パパ・ママ・まさやはスコップやフォークを持って水路に入り、溜まった2年分を上に掘り上げ、掻き上げ。まだ力のないももこは一輪車にそれを積み、反対側の谷に捨てていく、という分担で作業開始。先の方は見えず、全長100m以上あったかなぁ。

太陽がだんだん空の上の方にきて、それまで山陰で遮られていた日光がもろ体に当たるようなってきました。暑い・・。

それでもみんながんばって作業は調子よくすすみ、僕は父の日に甘えて、ちょっとやることを追加しちゃおうと、水路上に乗しかかって育った山椿の枝を30m程に渡って薙ぎ払い・・。子どもたちもそれを一緒に片付けながら、また水路の落ち葉上げを続けました。

終盤、全速力で休憩もなく、正午ギリギリまでかかってなんとか仕事を終わらせ、結果、キレイに水が流れるのが見えました。
すごい!よかった〜。

* ︎

お米づくりの仕事というと、田植えとか稲刈りとかが代名詞でしょうか。草刈りとか水管理とかも、よく聞く農作業でしょうか?
水路・側溝の落ち葉上げや泥上げ、農道の掃除や路肩の保全など、田んぼ仕事とはなかなか思いつかないようなこういう地味な作業が、実はとても大切なんです(水が流れ届かなければ水稲は育たないし、道が壊れれば人が田んぼまで行けないし)。
しかも、こういう作業はとくに手間がかかるし、骨が折れる。。

でもでも、「手間がかかる」「手間をかける」ということは、実は、何よりも必要なことなのではないかと思います。側溝や道路の掃除に限らず、田植えにしろ稲刈りにしろ、草刈りにしろ、そうです。

なぜならば、手間をかければかけるほど、自分が育ててるものに愛着がわくから。愛着がわけば、自ずと気持ちがこもり、丁寧になり、いい加減なことができなくなる

世の流れは、ロボット化・自動化のスマート農業。農業以外の仕事でも、人工知能やコスパ、タイパという価値観がもて囃されます。
もちろん、人手不足の昨今、作業効率とか生産性とか省力化とか、それももちろん必要。

でも、手間を省いて楽をすることが、本来的にいいことなのか・・。つくるものがなんであれ、そこに心を込めることができるのか・・。

家族みんな汗だくで帰ったのち、そのまま庭でシャワーを浴びるということで、散水ホースで水の掛け合いになりました。流石に冷た過ぎで、キャー、ギャーって、大騒ぎ 笑。

疲れたけど楽しかったし、いい仕事した!

心に残る父の日だったな・・。

みんなで手間をかけて苦労したからこそ、なんじゃないかな。
ありがとう。(またよろしくね 笑。)

わたなべまさゆき(2023年6月)

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