
新しい年に入り、1月も末。
ずっと大雪に見舞わています。
まだ降るの?どうなっちゃってるの・・?っていうくらい。
ここに暮らして13年目に入りましたが、短期間でこんなに降り積もり、こんなにも家が雪に埋もれてしまったのは、僕らにとって初めてじゃないだろうか。
昨日の朝なんか、うす薄暗いうちから、登校前の子どもたちも一緒になって雪かきしてくれ、やっと家を出て、車も脱出できるほどになったけれど、結局、家の前の道に除雪車が来るのが遅れて、子どもたちは学校に遅刻・・。
明日の朝はいっぱい積もってるぞ!、と覚悟しながら朝を迎えるならまだしも、そんなに積もらない予報だったのにガッツリ積もっていると、もう愕然としてしまう・・。
自分の仕事は最低限、低空飛行させて、あとの時間は、除雪をしているか、ごはんを食べてるか、寝て体力を回復させてるか、除雪をしているか、、そんな近頃です。
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除雪、雪かき、やってもやってもまた降って元に戻る。下手をすると倍になって返ってくる。いや、下手をしたのでも、悪いことしたのでもないのになぁ。。
わが家の敷地は半分が崖に接しているので、雪はそこに落として行けばいいのだけれど、崖下に落とした雪もたまりにたまり、敷地がどんどん広くなっていきます。つまり、崖の下に落とすまでに運ぶ距離もどんどん遠くなっていきます。
スノーダンプという道具に雪をガバっと乗せ、ソリのように雪の上を押し滑らせながら運び、崖下に落とす。繰り返し繰り返し、吹雪の中でもあられの中でも暗い中でも、反復作業、何回も何回も。
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黙々と汗をかきながらやってるうちに一つ思うのは、一かき・一捨てが、次の一手に影響するということ。
いい加減に雪を投げ捨てて、例えば山をつくってしまえば、次に雪を運ぶときにその山を越えるのに余計な力を要する。雪を運ぶ道を、広く踏み固めながら上手に作らないとズボッと足が潜ってしまい効率が落ちる。その道を登坂につくってしまえば、体力を消耗する。
反復の中で、次の自分、未来の自分に、どうやってより楽をさせてあげるか―。
これ、次の一手を行うのがすぐ直後の自分自身なら、まだ配慮に難しくありません。
しかしながら、自分の想像が及びにくいところ、つまり、その時の最後の一かき・一捨てだったり、次回は違う誰かが雪かきをすることになりそうだったりする場合、ついその注意・配慮をしなかったりしてしまうものです。
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「うちの村は、昔みんないい木を切って杉を植えちゃったんだよね・・」。
秋に近所の人とビールを飲みながら話をしてたとき、そんなことを聞きました。
昨夏、ほとんど雨が降らずに山のわき水も枯れ枯れしていた時期、山にどれだけ水を保つ木があるかどうかで、田んぼに命の水を届けられるかという話。
うちの村の山にはブナなどの水を保つ木が少ないのですが、隣の村の山にはブナの林がたくさんあるんです(だから、昨年は隣の村の田んぼの稲の方が助かりました)。
自然の木を切って杉の木を植え、自分や親戚の家をつくるための木材を育てたとのこと。
しかし、2026年になってもこの村に住んで天水田の棚田でお米をつくる僕たちのことは考えてくれていなかった。そんな未来がやってくるとは想像できなかったんでしょう。
次にこの大地を使うのが自分自身だったらわかりやすい、自分でなければ、、やはり配慮しにくい―。
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今日、屋根に登って雪下ろしをしていた最中、昔のこの家の住人の方が使っていた雪流しの道具が気に留まりました。滑り台みたいに加工してある長い板で、屋根から雪を落とすときにこの板に乗せてすべらせると遠くまで運び落とせるという道具です。
この道具は、屋根の下に紐で結ばれて、何十年もここに固定されていました。
これまでもこの道具がここにあることを知っていたけど、こんなにも一度の大雪になったのは初めてなので、使おうとしたことはなく。(一緒に置いてあってスコップはブナの木から削りだして作った木製。この一式をどのくらい昔に使っていたのか、なんとなくわかるでしょうか。)
そして、今日この度、満を持して、その道具を取り出すために、結ばれていた紐をほどこうとした時。
紐はしっかり結かれていたのに、なんともスルッと解けました。
固いけど、とても解きやすく結んであったようなんです。
昔の住人の方が、最後にこの紐を結んだとき、もしかしたら、数日後または次の冬にでも「また使うだろうな」と思って結んだのかもしれない。これが自分が使う最後の結びになるとは思ってなかったかもしれません。
そう、それが自分のためだったとしても、実は、次が自分か自分でないのかは誰にもわからない。
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そう考えると、雪かきであれ、大地であれ、道具であれ、紐であれ、何事でも、次にそれを使うのが自分であろうと誰であろうと、「次の人たちのことを考えておく」のは、未来に対して気の利いたプレゼントを用意しておくようなもの。
僕たちは、常に未来へのプレゼントを用意しているだろうか。
それとも、未来への妨害を用意しているだろうか―。
・・長いお便りになりました。
長いけど、これもまた未来への何かのプレゼントになるといいな、なんてね。
わたなべまさゆき(2026年1月)